信仰の旅

神聖。永遠。巡礼。

キュレーターよりご挨拶

こんにちは、ショウアンと申します。私はカトリック教徒です。

歴史や文化といった社会科学に情熱と専門性を持ち、ビジネスやVIP旅行の分野でも豊富な経験を積んでまいりました。

長い間、信仰をテーマにした旅を始めることに自信が持てず、ためらいを感じていました。

しかし、心からの祈りを通して神様の導きを感じ、この「Faith Tours(信仰の旅)」を始める確信と勇気を与えられたのです。

こうして生まれたこの巡礼のかたちは、単なる観光ではなく、魂を満たすスピリチュアルな体験です。

どうぞ私とともに、日本の聖なる地をめぐる信仰の旅へ出かけましょう。

では、弊社のツアーの何が特別なのでしょうか?

単なる観光を超え、日本キリシタンの物語と、奇跡的に受け継がれてきた信仰の歴史を結ぶ特別な旅。

私たちと共に歩むことで、日本の過疎の村々で熱心に祈りを捧げる信徒の方々と繋がることができます。彼らの信仰の火を絶やさぬよう、共に歩んでまいりましょう。

ツアーコンダクターの資格を持つ私は、目的地をご案内するだけでなく、その背後にある宗教的歴史や物語を心を込めてお伝えします。

また、あまり知られていない小さな祈りの場や、隠れた魅力をご紹介しながら、ときには祈りを共にし、信仰の時間を分かち合いたいと願っています。

訪問先はすべて、私自身が事前に足を運び、じっくりと確認したうえで行程に組み込んでいます。
安心して、心深く意味のある巡礼をお楽しみいただけるよう、丁寧に準備を重ねています。

この体験は、単なる移動や観光ではありません。
それは、神との神聖な出会いの旅であり、神への愛を深め、そしてその愛を他者と分かち合うきっかけとなる道のりです。

長崎・天草と九州・中国地方

隠れキリシタン世界遺産を巡る旅

基本情報

  • 登録年:2018年
  • 区分:文化遺産
  • 所在地:長崎県および熊本県天草地方
  • 構成資産数:12資産

この世界遺産は、16〜19世紀にわたるキリスト教禁教期において信仰を密かに継承した「潜伏キリシタン」の歴史と文化的景観を示す遺産群です。

12の構成資産一覧
1 原城跡
2 平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
3 平戸の聖地と集落(中江ノ島)
4 天草の﨑津集落
5 外海の出津集落
6 外海の大野集落
7 黒島の集落
8 野崎島の集落跡
9 頭ヶ島の集落
10 久賀島の集落
11 奈留島の江上集落
12 大浦天主堂

世界でも類を見ない「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が巡礼地である理由

それは、迫害の時代を越え、決して絶えることのなかった信仰を守り抜いた人々の物語にほかならない。

秘跡としての洗礼。出典:潜伏キリシタン研究会

「潜伏キリシタン」の比類なきレジリエンス

ヨーロッパや南北アメリカで壮麗な大聖堂がそびえ立つ一方、日本の教会は“影”の中で存続しました。その稀有性は、四つの卓越した柱に集約されます。

第一、約250年にわたり、日本の信徒共同体は司祭も宣教師も不在のまま、ミサ聖祭を執り行うことなく信仰を守り続けました。

第二、死の脅威の下で、信徒たちは高度な宗教的シンクレティズム(習合)を実践しました。仏教や神道の美意識の内側に信心を覆い隠し、十字架を「見えるところに隠す」という独自の宗教文化を形成したのです。

第三、世代を超えて受け継がれたオラショ(ラテン語 Oratio に由来)は、地下教会の鼓動そのものでした。ラテン語・ポルトガル語・日本語が織りなすこの祈りは、やがて言葉そのものが“生存のための神秘的暗号”として機能するに至ります。

第四、離島をはじめとする各地の共同体は、それぞれ固有の儀礼を発展させながらも、初期のイエズス会宣教師から授けられた中核教義においては堅固に結束していました。

これは単なる信仰の存続ではなく、抑圧の時代を越えて自己を再構築し続けた宗教共同体の歴史にほかなりません。

キリスト教の黄金期

多くの国々において福音が植民地支配とともにもたらされたのとは対照的に、日本ではキリスト教は支配層によって自発的に受容されました。戦国時代の有力大名、いわゆるキリシタン大名である大村純忠や有馬晴信らは、その真理を認め、領内における布教と教会建設を積極的に推進しました。

迫害の影が差す以前、長崎は「東洋のローマ」と称されるほどに繁栄しました。そこは西洋の科学・技術・芸術が交錯する活気ある拠点であり、街の景観は教会の尖塔によって象徴づけられていました。長崎はまた、高度なカトリック教育とルネサンス文化の国際的中心地としても広く知られる存在となりました。

16世紀後半から17世紀初頭にかけて設立されたセミナリヨ(Seminario)は、日本初の西洋式教育機関として機能しました。司祭・修道者の養成にとどまらず、次世代を担う指導的人材の育成を目的とした高等教育機関であり、その教育水準は極めて厳格かつ体系的でした。カリキュラムには、ラテン語、音楽、地理、算術に加え、当時最先端であった印刷技術が含まれていました。

この時代は、日本におけるキリスト教が単なる宗教の枠を超え、知的・文化的革新の推進力となった特筆すべき黄金期であったと言えます。

天正遣欧少年使節 (日本と教皇庁との最初の公式接触)。

『アウクスブルク新聞(Augsburg Gazette)』 158583日付(ドイツ)には、ミラノ出発に関する使節団の動静が記録されています。これは当時のヨーロッパ社会において、日本使節が国際的関心の対象であったことを示す同時代史料です。 出典: 京都大学附属図書館所蔵資料

天草四郎陣中旗(じんちゅうき)。所蔵・展示: 天草キリシタン館

島原の乱

島原の乱(1637–1638年)は、日本史上きわめて特異な宗教戦争として位置づけられます。
アジアにおいて、キリスト信仰の自由を求めて本格的な武力衝突に至った事例は他に類を見ません。

一揆勢は約37,000人。その中心には多くのキリシタンが含まれ、原城に籠城しました。
これに対し、幕府軍は約120,000人を動員。圧倒的兵力差のもとで展開された攻防は、日本近世史における最大規模の内戦の一つとなりました。

この戦いは単なる農民反乱ではなく、信仰と良心をめぐる重大な衝突でもありました。
それは、東方世界における宗教的自由をめぐる、最後の壮絶な抗戦と評することもできるでしょう。

結果として原城は落城し、反乱は鎮圧されますが、その後の鎖国政策とキリスト教禁制の徹底化へと歴史は大きく舵を切ります。島原の乱は、日本における信仰史・国家統制史の転換点として、今なお重い歴史的意味を持ち続けています。

地域のハイライト

  • イエローマークエリア
    日本におけるキリスト教の黎明
    聖フランシスコ・ザビエルの宣教活動の軌跡を辿る巡礼ルート。キリスト教が初めて日本の地に伝えられた歴史的瞬間に立ち返る、意義深い旅です。
    このエリアでは、大聖堂の壮麗さとは対照的に、親密で静謐な“隠れた珠玉の教会”を訪ねます。規模は控えめながら、その佇まいは格別の存在感を放ちます。日本建築の洗練された意匠と西洋キリスト教の精神文化が自然に融合し、他地域では見られない独自の宗教的景観を形成しています。
  • ブルーマークエリア
    信仰の黎明から迫害、そして潜伏へ
    日本におけるキリスト教の受容から禁教、そして潜伏の時代へ。
    この地域は、約250年にわたり信仰を密かに守り続けた潜伏キリシタン(カクレキリシタン)の物語を今に伝えます。
    厳しい弾圧の下にあっても、祈りと教義は地下で継承されました。儀礼は変容しながらも核心を保ち、信仰は共同体の中で静かに息づき続けました。ここは、忍耐と霊的持続の歴史を体感する巡礼地です。
  • グリーンマークエリア
    祈りの島・五島列島
    「祈りの島」とも称される五島列島は、十字架を想起させる地形を成す群島であり、古くから巡礼と黙想の聖地として認識されてきました。
    雄大な海岸線と、静かに佇む小さな聖堂群。この地では、信仰は観光資源としてではなく、個人の内面と深く向き合う霊的体験へと昇華します。何世紀にもわたる静謐な祈りが醸成した空気が、訪れる者に深い内省を促します。

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北海道・秋田

日本におけるキリスト教の新時代

北海道・秋田:日本におけるキリスト教の新時代

19世紀後半、幕府の崩壊とともに、日本は明治天皇の下で大きな変革期を迎え、西洋との貿易や交流の門戸を開きました。長く抑圧されていたキリスト教は、この新しい時代に再び息を吹き返し、力強く成長し始めました。北海道や秋田では、その復興の軌跡が修道院や教会の建築様式に美しく映し出されています。西洋と日本の文化が融合した建築や、近代日本の夜明けを象徴する歴史的な場所を巡ることで、信仰と近代化が交差する時代の精神と文化遺産を体感できる巡礼の旅が始まります。

地域のハイライト

トラピスチヌ修道院:函館近郊に位置するトラピスチヌ修道院は、1898年にフランス人修道女によって創設されました。静かな回廊と美しい庭園が、平穏と瞑想の場となっています。

トラピスト修道院:北斗市に位置するトラピスト修道院は、1896年に創設され、質素な修道生活の美しさを今に伝えています。現在も修道士たちが手作りする乳製品が親しまれています。この聖地は、日本におけるキリスト教復興の静かな力強さを物語っています。

小樽、函館の教会:函館の元町カトリック教会や小樽の富岡天主堂など、その建築美に心を奪われることでしょう。色鮮やかなステンドグラス、精緻な祭壇、西洋風のデザインは、明治時代のキリスト教の広がりを象徴し、日本独自の美意識と見事に調和しています。

聖体奉仕会修道院:「秋田の聖母」として知られるこの修道院は、奇跡の地として名高い聖地です。1975年から1981年にかけて、聖母マリア像が101回涙を流したとされ、世界中から注目を集めました。この奇跡は、多くの巡礼者の心に深い祈りを呼び起こし、今も祈りと癒しの場として大切にされています。

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